お墓と現代人3  亡き後に復活するコミュニティの不思議。

私たちの社会は、これまで「家や家族・地域単位」で生活を共にし、それ故に先祖というタテのつながりを重視して、墓石や墓参り、盆暮れを亡くなった家族といっしょに過ごしてきました。

家族の成長や将来についても、勉強が得意な子はその道で、不得意な子はそれ以外のスポーツや接客、職人の道でと、家族や周囲が道筋を立て何とか就職・就業というところまで送り出していました。

それ故に、落ちこぼれといった存在は現代とはくらべようがないほど少なく、セイフティネットという概念も機能も必要なかったのです。

進学が決まれば墓石に、就職が決まれば墓石に報告と、節目ごとに先祖の墓石に詣でる光景も決して珍しいことではなかったのです。

しかし家族制度が崩壊すると、子供は巣立ちと同時に単身勝手な道にすすみ、憧れた都市の社会性が崩壊すると、今度は職場の終身雇用制度の崩壊とともに、「雇用の調整弁」として使い捨てられるといった不運な道をたどらざるを得なくなっています。

おおげさかも知れませんが、墓石・墓参りのない生活が、家族の絆を解いてしまったようにさえ感じます。

ともあれ、隣り合う者どうしがお互いの面倒をみる日本のコミュニティ社会の崩壊が、親族との血縁、地域の縁、職場の縁を断ち切り、家族の中心にあった墓石・墓参り・法事さえ無意味なものに変質させてしまったことはたしかです。

現在、単身化してしまった人たちを中心に広がっている墓地のあり方の1つに「共同墓所」という形式がありますが、これなどは都市に集まった単身者のためのコミュニティと呼べるのではないでしょうか。

ビジネスモデルとして展開している企業のものは別にして、救済の色が濃いお寺の住職さんなどは無縁仏になってしまった人たちの遺骨を引き取り、「共同会葬」、「共同墓所」のような形で、檀家の人たちと定期的に法事を執り行っているといいます。

都市の中でコミュニティを見失い、誰にも看取られずに亡くなっていく単身者・独居老人の人たち~。

皮肉にも自分が亡くなった後にコミュニティが出現し、見ず知らずの人たちに弔ってもらうという、うれしくもお粗末な現代になってしまいました。

日本の社会はこれでいいのでしょうか。

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