お墓と現代人1  人間社会の過疎化を生む個人主義

葬儀の仕方や制度は、経済構造の変化や少子高齢化にともなう人口動態によって大きく変化しています。

日本はすでに少子高齢によって人口減少社会に突入し、家族形態が変わり多様化もしています。

この程度のことは多くのメディアが連日取り上げていることでみなさんも周知の事実だと思います。

問題はその先にあって、このような現代人の志向によって墓石やお墓参りのあり方にも変化があり、「果たしてこのままで良いのだろうか?と疑問に思ってしまうことが多々あること」です。

たとえばある調査結果によると、「墓石やお墓、またお墓参りの習わしを守るのは子孫・子どもの義務」と考える人は9割近くにのぼっていたそれまでにくらべ、6割強にまでパーセンテージを下げています。

また「お墓や葬式は故人の意思を尊重」という人は、調査対象のほとんどすべてがYESと回答したといいます。

しかし、葬式や墓石・墓参りは本人のものであると同時に遺族や残された人たちのものでもあり、唯一故人を忍んで公に手を合わせあうことのできる場所でもあります。

法事を通じてふだんは疎遠になっている親戚や友人が一堂に会する場や行為は、人間のつながり・絆を確認するコミュニティでもあります。

多くの人は、自分の墓石や葬儀のあり方を「子孫や周囲に迷惑をかけたくないから散骨で」、あるいは「共同墓地・合葬で」と結論づけているようですが、人はこの世に生きているまでが、つながりなのでしょうか。

親子・親戚・友人なのでしょうか。

残された者に後を託す、迷惑や手間をかけさせるのも、人間社会の常であり文明や文化の源になってきたのではないでしょうか。

敢えて苦言を呈するような言い方を許していただければ、「自分が故人となった後に、家族や親戚、友人がつながる場を残すことも故人が考えるべき最後の責務です」。

さまざまな形で、失われゆくコミュニティや人と人との会話の機会。

人の世話にはなりたくないという気持ちが、人間社会の過疎化や無関心を生んでいるように思えてなりません。

死をもって終わるという考え方を、もう一度見直しましょう。

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